80年代からレンズ越しにボードカルチャーを見てきて、変わりゆく時代の流れで変わらないもの。彼らの情熱とマインドは時にファッションをリードし音楽に影響を与えてきた。難易度の高いボールやパイプに挑み、エアを決めるだけの単なるアクションだけに止まらない。彼らには卓越した創造力と独自のスタイルがある。だからだろか、昔からスケーターやスノースノーボーダーにはアーティステックな奴が多い。外見では想像もつかないようなことを思惟し、時としてファニー。
技を理解し最高の一瞬を切り撮るには集中力、信頼関係が不可欠である。自然と人工物との調和。長時間太陽待ちで手がかじかもうが、板が飛んでこようが関係ない。最高の瞬間がすぐそのさきの未来に待っているのだから。
フォトグラファーとして最上の喜び。それは彼らの匠の技ともいうべき「滑り」(あえてこう表現しよう)、神秘をカメラに収め喜びを分かち合えることがまずひとつ。そしてその喜びは年月が経っても色褪せることなく、いつまでも語り合えることだろうか。そして誰かが、偶然見てくれた僕のたった一枚の写真から新しい扉を開くきっかけになってくれらそんな嬉しいことはない。
長かった小児喘息。北海道にいっとき移住していたからなのか、猫をかって荒療法になったのかわからないけれど、治ってしまう。愛猫家。
日本大学芸術学部写真学科卒
1965年東京の父と富山の母の間に徳島で生まれる。
その後、幼少期は東京、大阪、京都と転居を繰り返し再び東京に戻る。
小学生の頃は忍者と城に興味をもち専門書とコニカC35を片手にひとり各地を巡る。
12歳でスケートボード、14歳でオリンパスOM-1を手に入れ、19歳でスノーボードに出会う。
スケートボードシーンの黄金期を記録。
スノーボードでは黎明期からバックカントリーを中心にアラスカ、モンゴル、
シベリア、テンシャンなどで撮影トリップを繰り返す。
自然への憧れから北海道は倶知安町で10年間暮らす。
両親の在宅介護をきっかけに現在は東京在住。
母の最後の言葉は、木を植えて