オーガナイザーでもあるスノーサーファー、玉井 太朗さんと言えば、どうしても聞きたくなってしまうのがGEMTENの板を中心とした話。でも魚眼人が興味を持ったのは、そこに行き着くまでの目に見えない何か、そして今。意識的なものが陸だとしたら本誌では海に近い部分に触れられたような気がします。また電子版では、
写真の数をさらに増やし、樋貝のコラムを新たに書き下ろしました。
すでに魚眼人VOL.2をご購入の方にも電子版ならではの画像の美しさを
おたのしみいだだけるかと思います。スタジオフィッシュアイ限定の電子版
TARO TAMAI スペシャルインタヴュー。この機会にぜひです!
スノーサーフィンムーブメントの中心人物、T T。スノーボード界でひときわ存在感を放つ玉井太朗はいかにして誕生したか。業界の異端児といわれた今や革命家TARO TAMAI。ここでしか読めないスペシャルインタヴューと美しい写真の数々が、きっとあなたに至福のときもたらすでしょう。
(スノー)サーファーとして筋を通し妥協のないプロダクトを作り続けているGENTEM STICK/ゲンテンスティックが世界中から注目されるようになったのは当然であった。行動力、俯瞰的なビジョン。玉井太朗の揺るぎないモチベーション。幼少期から自身の方向性を導いた、いくつかの出来事など。樋貝吉郎の未公開ショットとあわせてゆったりとしたレイアウトとなっております。ZINE魚眼人の本誌では、写真とあわせて13ページの構成だったところに、電子版は樋貝吉郎から見た彼のアラスカライディングについてショートコラムを書き下ろしました(写真も1点追加)。電子版ならではの画像の鮮やかな発色がお楽しみいただけます。
インタヴュー後、音楽の話になりました。昔から生活の一部として音を楽しんでいた玉井さん、最近はレコードなんだそうです。そして何より驚いたのは、今でもカセットテープ愛好家であるということ。誰もがCDで音楽を聴いていた時代ですら「あのザラザラ感がいいんだよね」とおっしゃっていました。普段はiPodにさまざまなジャンルの音を入れ、そのときどきを楽しんでいるようです。この時代、カセットテープという響きに時代遅れと吹き出すひともいるなか、玉井さんはそうじゃない。偏見なく、その先の揺るぎない柔らかさを持っている。その柔軟性は幼少期から続いている釣りはもとより、スノーボード作りにも通じているのでしょう。
オーガナイザー
……4ヶ月後、アラスカ、バルディーズに来ていた。ビデオで観たままの光景。ヘリのパイロットもベトナム帰りのチェット・シモンズだ。トレードマークのミラーサングラスと腰につけたピストルは本物である。玉井太朗はリアルなフィールドに立つと生き生きとする。いくつもストックしてある滑りたいポイントのひとつをチェットに伝える。チェットは低い声でヘリの代金であるカジノのプラスチック製のチップの色を答える。ヘリは大きく機体を傾けながら旋回する。玉井太朗はしっかりと(続く)
俺のじいちゃんは江戸っ子の石屋でね。和紙に筆で字を書いて彫って組む、すべての行程をやる職人だったんだよ。小学生の頃、石をリヤカーに載せて運ぶアルバイトをしながら、作業を横でずっと見ていた。じいちゃんは鉄砲撃ちと釣りが趣味で、四季を釣れっていうのが口癖でさ。つまり四季折々を楽しめっていう意味だね。物心つく前から、よく一緒に釣りに行ったよ。まず自分たちで竿を手作りするところから始まるんだ。じいちゃんは仕掛けも考えて、誰も行かないようなポイントを探して、大物を狙うんだ。川に行くと、「まず、地形を見るんだぞ。あそこが深いだろ…」と教えてくれる。でもね、「いいか、いいか…」と最初は俺に釣らせようとしてたはずなのに「ほら釣れた!」と自分が夢中になって孫に釣らせてくれないの(笑い)。まあ、横で見ているのが一番の早道なんだけどね。子供扱いしてくれないんだよ。そういう意味では親父もそうだった。夏休みに財布ごと渡されて、これで自由にどこか行ってこいってね…。自分が一番影響を受けたのは、このふたりからだね。息子の天満にも伝えたい物事の本質を教わったね。小学生になってからは、釣りに行きたいから大人にくっついて行動してた。親父が四谷でレストランをやってたんだけど出入り業者のお兄さんがハードコアな渓流釣り師でさ、その人とイワナ釣りに行ったり、地元の釣り道具屋のおじさんの車に乗せてもらったり。
ヘラブナ釣りにハマっていた頃、釣り道具屋で一本の忘れられない竿に出会ったんだ。ヘラブナの竿っていうのは日本独自のすごい技術で作られているんだよ。フライのロッドは集成材で作られているんだけど、伝統のヘラ竿は竹そのままを材料にするんだ。竿師みずからが、穂先はあの竹林、元竿はあそこの斜面に生えてる竹って具合に採ってきて、じっくりと自然乾燥させて、いくつもの行程を経て仕上げるんだ。だから高価でその当時で普通に何十万円もしてた。当然釣り道具屋では子供なんかには触らせてくれなかった。それで店で記憶した住所を頼りにその竿師のもと、大阪まで訪ねて行ったんだ。玄関でその人は「ボク、ひとりかい?」といぶかしげに訊いてきたけど、うなずくと「じゃ、入りなさい。」って仕事場に通してくれた。それから一言も口をきかないで、ずっと作業を続けてね。あまりに長くって、帰るタイミングをどうしていいか分からなくなったけれど、面白いから、じっと見続けてたよ。作業を終えると、奥から竿を持ってきて「これを使いなさい。」と渡されたんだ。「じゃあ、使わせていただきます。さっそくテストさせていただきます。」なんて一丁前に答えてね。帰る途中、滋賀の琵琶湖で使って、「これはいいぞ。」なんて悦に入ってね。家に帰ったら大人たちは大騒ぎ。俺がその人に会えたこともだけど、竿も数百万円の値がつくようなものだったんだから…。
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このインタビューは、2013年におこわれましたが年月が経っても全く色褪せないのは
玉井太朗という人物が10年先を見越し道なき道を切り開き続けているからなのである。
1994。彫刻を彫るかのように一歩一歩、また一歩。
ニセコ、アラスカ、モンゴル、シベリア…。
未だ見ぬその先にあるものを目指し
命を賭けて挑んだ滑り手たちの記録。