TARO TAMAI 玉井太朗

gyogan zine スペシャルインタヴュー

 

無料公開

 

ポスター『TT NISEKO '99』玉井太朗ニセコ 99 の発売を記念して、

スタジオフィッシュアイが以前、ジン「gyogan zine」で特集した

玉井太朗さんのインタヴュー記事をもっと多くのひとに

読んでほしいという思いで今回特別に

無料公開することになりました。

 

この機会にぜひです!!

 

スノーサーファー

 

魚眼人×玉井太朗スペシャルインタヴュー

gyogan zine 創刊号 掲載

 俺のじいちゃんは江戸っ子の石屋でね。和紙に筆で字を書いて彫って組む、すべての行程をやる職人だったんだよ。小学生の頃、石をリヤカーに載せて運ぶアルバイトをしながら、作業を横でずっと見ていた。じいちゃんは鉄砲撃ちと釣りが趣味で四季を釣れっていうのが口癖でさ。つまり四季折々を楽しめっていう意味だね。物心つく前から、よく一緒に釣りに行ったよ。まず自分たちで竿を手作りするところから始まるんだ。じいちゃんは仕掛けも考えて、誰も行かないようなポイントを探して、大物を狙うんだ。川に行くと、「まず、地形を見るんだぞ。あそこが深いだろ…」と教えてくれる。でもね、「いいか、いいか…」と最初は俺に釣らせようとしてたはずなのに「ほら釣れた!」と自分が夢中になって孫に釣らせてくれないの(笑い)。まあ、横で見ているのが一番の早道なんだけどね。子供扱いしてくれないんだよ。そういう意味では親父もそうだった。夏休みに財布ごと渡されて、これで自由にどこか行ってこいってね…。自分が一番影響を受けたのは、このふたりからだね。息子の天満にも伝えたい物事の本質を教わったね。小学生になってからは、釣りに行きたいから大人にくっついて行動してた。親父が四谷でレストランをやってたんだけど出入り業者のお兄さんがハードコアな渓流釣り師でさ、その人とイワナ釣りに行ったり、地元の釣り道具屋のおじさんの車に乗せてもらったり。

 ヘラブナ釣りにハマっていた頃、釣り道具屋で一本の忘れられない竿に出会ったんだ。ヘラブナの竿っていうのは日本独自のすごい技術で作られているんだよ。フライのロッドは集成材で作られているんだけど、伝統のヘラ竿は竹そのままを材料にするんだ。竿師みずからが、穂先はあの竹林、元竿はあそこの斜面に生えてる竹って具合に採ってきて、じっくりと自然乾燥させて、いくつもの行程を経て仕上げるんだ。だから高価でその当時で普通に何十万円もしてた。当然釣り道具屋では子供なんかには触らせてくれなかった。それで店で記憶した住所を頼りにその竿師のもと、大阪まで訪ねて行ったんだ。玄関でその人は「ボク、ひとりかい?」といぶかしげに訊いてきたけど、うなずくと「じゃ、入りなさい。」って仕事場に通してくれた。それから一言も口をきかないで、ずっと作業を続けてね。あまりに長くって、帰るタイミングをどうしていいか分からなくなったけれど、面白いから、じっと見続けてたよ。作業を終えると、奥から竿を持ってきて「これを使いなさい。」と渡されたんだ。「じゃあ、使わせていただきます。さっそくテストさせていただきます。」なんて一丁前に答えてね。帰る途中、滋賀の琵琶湖で使って、「これはいいぞ。」なんて悦に入ってね。家に帰ったら大人たちは大騒ぎ。俺がその人に会えたこともだけど、竿も数百万円の値がつくようなものだったんだから…

その人はまだ生きているらしいんだよ。探しているんだけど、情報を一切出していないんだ。釣り竿作りのなかで世界最高峰の人だよ。残念ながら、現在はヘラブナ釣りの文化が表に出ていないから、ヘラ竿は当時ほどの値はついていないんだけどね…。

 たまたま雑誌にある船宿が紹介されてて、これは匂うぞと、馴染みがあった新津から、ひとりで磐越西線に乗って喜多方に行ったこともあるよ。駅に迎えに来た宿の主人が「お父さんは?」って訊くんだけど「いえ、ひとりです。」と答えると、一瞬、間があったけど、泊らせてくれた。その後もポイントで知り合った釣り人の車に同乗して、喜多方からいわきに足を伸ばしたりした。自分には釣りをするという目的があるんだから、大人とか子供とか関係なく、当然だと思って行動していたよ…。

 

 

 川って、どこまでが川なのかって定義の話じゃないんだけど、シベリアに行ったときアムール川を上空から眺めたことがあるんだ。流れているところだけが川じゃなくて、川って動くから、動いていくのが自然だからね、千年前に流れていたところも十年前に流れていたところも、川原を含めて川なんだよ。当時よく通った利根川も、今はもう周りは色々造成されて家とかいっぱい建って、狭められて護岸されている。川は暴れる訳だから昔から治水してひとが住めるように、農業が出来るようにしてきている訳だからね。でも、そのころはまだ土手の川原に水が湧いてて、ひとつの生態系っていうのかな。すごく美しい沼があった。水生植物が咲き乱れていて、水もきれいで、ありとあらゆる動植物がいて、いるだけで微笑んでしまうような場所だったんだ。魚がいて釣りができて、子供心にもすべてが健康なんだろうなと思いながら、巡り来る季節がものすごく楽しみでさ。

 それがある年、その場所に行き着いたんだけれども、見当たらないんだ。「あれ?たしか、ここの筈だよな」って一生懸命探して、何時間も何時間も探すんだけれど、段々むなしい気持ちになっていって、沼があった筈のところが原っぱになっていて、ブルドーザーがあるの。で、わかっていくでしょ…。でも、その現実が受入れられなくて、ただやるせなく、ぼうっと立ってた…。今のように理由を理解出来る年じゃないし、「なんで壊してしまうの?あの植物や魚達はどこにいっちゃうの?」って。強烈な原体験だよね。具体的に理解させられてしまうという。自分が体験したのは、そういう環境破壊が頻繁にあった時代の最後の方だと思うんだけど、いくつも思い出すよ。すごい衝撃だったね。自分なりに「何で?」って大人にぶつけてみたんだけれど誰からも答えはなかった。モヤモヤ、むしゃくしゃした気持ちが長く続いたよ。でも、無くなっちゃうんだなって…。

 例えばスノーボードに最高の斜面があったとしても、明日には消えてしまうんだ。それは誰かが壊すというだけのことじゃない、現実問題それは無くなってしまうんだ。そう刻み込まれた。いかに自然の中に長く身を置いていられるか、それがモチベーションの根源なんだろうね。年をとると身体的にも体力的にもより感じるよ。だから、一瞬一瞬が大切なんだ。自然のなかでスノーボードやサーフィン、釣りをすることで、自然との取り組み方の解釈を探しているんだ。それが滑り続けている一番の理由だろうね。

 スキーは小さい頃から毎年家族で白馬に行ってて大好きだったんだけど、小学校5年の時にウィンタースティックが映っているフィルムを目にしたんだ。直感的に「これだ!」って感じた。子供心にも「だまされてた!もっと面白いことがあったんだ」って。スキーはパウダーを滑ったとしても、道具の扱いが難しすぎて解放されない。道具に不自由を感じてたんだ。だって、本当にやりたいことは滑ることなのに、そこに集中出来ない。スキーって仕事の延長で、体制的なんだよね。対してスノーボードは純粋に遊びだからね。

 実際にスノーボードをやったのは、それから8年。スキーを極めてみようと一冬籠ろうとした時に「そういえば、スノーボードってあったよな。」って。インターネットなんてない時代だったけど全ての板をチェックしたよ。「これはパウダーしか滑れないな」とか「こっちは全然話にならない」とか…。そうしているうちにすぐに、本当に自分が乗りたい、どんなコンディションでも滑れる板を作ってみたくなった。自分独りでは難しいだろうと思ったから、既に技術を積み重ねているモスの田沼さんのところに行ったんだ。田沼さんは根っからの技術者でちょっと気難しい人なんだけど、聞く耳をもっていたからね。

 

 

 モチベーションのひとつに自分のことを理解してもらいたいということがあるよね。好きなものはやっぱり多くのひとに知ってもらいたいじゃない。それは写真を撮って多くのひとに見てもらいたいという感情と同じで。こういうことって、誰でも持ってる欲求だと思う。

 これが正しいと断言するんじゃなくて「こういう考え方もありますよ。」って提案したい。もちろん「こうだ!」って確信はあるんだけどね(笑い)。スノーボードはスタートしたときに時代背景があまりにも商業的だったんじゃないかな。だからスノーボードが持っている本質ソウルの部分を理解してもらいたい。身の回りの人から世界中の人にまでね。スキーメーカーが作るスノーボードってものに、今でも誰も疑問をもたないってのは、子供の頃、沼がつぶされても誰も何も言わなかったのと一緒だと思うんだ。

 今のスノーボーダーを見て思うのは、自由を謳歌していない。なぜ、もっとやらないんだって思う。小ぢんまりと仲良く固まってる気がする。スキーヤーから見れば、スノーボーダーは自由に思われてるかもしれないけど、なんで、もっとやらないのかな。俺は抵抗を感じる。若い頃って何やってもいいんだよ。スノーボードって本当の意味で、もっと自由なものだと思うんだよね。飛び抜けたことをしようすると周りに理解されないで寂しさを感じるかもしれないけど、自分の枠を拡げていくとそんなものは解消されていくんだよ

 日本って小さいじゃない。「海外で板を売るんだ!」ってほどの気負いはないんだけど、世界に繋がりを持っていくと、広い観点からモノを観てストレートに理解してくれる人がいる。ゲンテンのボードのデザインもオープンにして“シェア”してる。ちゃんとした、よくわかっている人たちはゲンテンから影響を受けたことを隠したりしないんだ。ようやく、メーカーじゃなく、滑り手が自分の乗りたい板を自分でデザインする。そういう流れになってきたよね。その走りが俺だったんじゃないかな。

 「10年後に何をやっているか?」来年あたりから動き出すんだけど、自宅にアイデアをすぐにカタチにできるファクトリーを作りたい。年をとると、だんだんと滑れなくなっていくじゃない。自分がデザインした板の性能をいまの自分の技術、体力のレベルでは80%くらいしか引き出せないと思うんだけど、将来それを乗りこなせるヤツが出てくる。120パーセント乗りこなすヤツの登場、それも楽しみだねそれとファクトリーには仲間で使える暗室も作りたいと思っている。10年経てば、息子の天満も17歳、もうニセコからは巣立ってるだろうけど、スノーボードやサーフィンをやっていてくれてたらうれしいけど、そうでなくてもいいと思う本質を見つけて、自分が追求できることにハマってくれれば、なんでもいい。「そこは俺にまかせろ!」みたいなものを見つけていればいいと思うんだ。

 

 

ニセコの“樺山”と呼ばれていた家には一昨年亡くなった玉井太朗の父が作った一冊の宿帳があった。最初のページには息子に捧げる詩が書いてあった。「太朗のもとに仲間が集まる…」父親の子供へ対するまっすぐな愛に満ちた詩であった。様々な思いと情熱は親から子へ、先輩から後輩へと脈々と受け継がれていくのだろう。

玉井太朗/TARO TAMAI 1962年 東京出身。 海と山が生みだす“波”をボーダーレスに追い求めるスノーサーファー。98年ゲンテンスティックをスタート。現在のスノーサーフィンムーブメントの先駆けとなる。ボードデザインの革命家。 パタゴニアアンバサダー。北海道在住。 GENTEM STICK 代表 http://www.gentemstick.com

ジン 魚眼人 創刊号スペシャルインタヴューより

制作 スタジオフィッシュアイ

発行 2014年 8月 5日

 

 

ZINE 魚眼人 創刊号より抜粋  ¥250-

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こちらはスノーサーファーTT氏の写真入り
スペシャルインタヴュー有料版です!
TARO TAMAI Special Interview Photographer YOSHIRO HIGAI

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TARO TAMAIスペシャルインタヴューが掲載されたジン

魚眼人(gyogan zine)創刊号 1st issue
魚眼人(gyogan zine)創刊号 1st issue 巻頭ページ:玉井太朗インタヴュー 13page グラビア ayla/ベリーダンス 「家庭菜園考」森下茂男 「Less is more」岡崎友子 「南極」奈良亘 「UTMF完走記」舘下智 「福島」平 学 「Guide of Mt.Fuji」高柳光政 「土からの贈り物」古田 常子 Photos ダンス、スノーボード、スノーサーフ、 スケートボード、BMX… オールカラー サイズ/B5 ページ/66page 編集 YOSHIRO HIGAI 発行 スタジオフィッシュアイ 発売 2013年 12月 定価 800円(w/o tax)

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