80年代スケートボードジン「JAPAN AIR」のご案内

 Studio fish i

スタジオ  フィッアイ

写真家 ひがい よしろう

'80s skateboard

JAPAN AIR

1本36枚だ。80年代、デジタルはまだない。目の前のスケーターを全身全霊で撮る。基本は35mmの一眼レフにフィッシュアイレンズ。フラッシュはオフカメラコードを使いカメラから離し、右手にカメラ、左手にストロボを持つ。サンパックのグリップタイプは脱着がボタンひとつで出来て良い。ISO感度100。シャッタースピードは1/250 ・・・

スケートボード ジン

JAPAN AIR

83年の渋谷児童館で僕の人生は決定した。

東京で誰にも見向きされなくなっていたスケートボードが

その後のストリートの大ブームへ続く序曲だったのかもしれない。

スケートボードの黄金期と呼ばれる80年代にフォーカスした

フォトグラフィージン。   TEXT ヒガイヨシロウ

 

80s SKATEBOARDING

SKATE ZINE 「JAPAN AIR」

38Page  All color

Price 1,000yen(+tax)

 

Photographs and Text Yoshiro Higai

Translation Ken Williams

Published  September 2019

Product  studio fishi

購入する

Crazy

Skateboarding

No Skate No Life

Skater

Takashi Nishikawa,

Steve Caballero,Philippe Mentone,Shigeru Ishihara,

Mitsugu Toyoda,Mitsuhiro Soshima,Yoshimitsu Shino,Hisakatsu Nihei,

Hideki Morishita,Toru Ryuno,Hiroshi Otaki,Tatsuya Mino,Kazunari Shimamura,Satoshi Kawamura,

Hikari Suzuki,Masaki Hayasaka,Lance Mountain,Tony Hawk,Jun Yokoyama,Christian Hosoi,Sergie Ventura Block,Mark Gonzales,Jeff Kendall,Takeshi Miyauchi,Chris Miller,Ken Williams,Masanori Nishioka,Yoshikazu Nakahara,Wataru Nagashima,Hisashi Koyama,

Katsutoshi Akiyama,Aki Akiyama

80 SKATEBORDDDDo

80年代の東京のスケートボードの核心地、代々木公園、清瀬、船堀といったローカルシーンから、ブームが起きたあと来日した海外のスケーターたちが滑るロサンゼルスクラブ、池袋、横浜など当時を知るスケーターなら誰でも知っている出来事がフィーチャーされている。

写真展の会場で32年前の自分と再会したfabricの小島さん

樋貝が初めてOld skate magazineの代表でもあるTransWorld SKATEboardingに掲載された写真。Tony Hawk 1985年。

代々木体育館前でのイベントでデモをするビジョンチーム(クリス・ミラーはシュミット。代理店がどちらもハスコだったから。

正面デッキに立っているのは左からブルーノ・ピータース、ケン・パーク、マーク・ゴンザレス。写っていないがマーク・ロゴスキー(!)もいた。)

Steve Caballero  Kiyose キヨセのハーフパイプとランページを滑るスティーブ・キャバレロ。4段目3コマ目では、ナント上部の鉄柱を掴んでハンドプラントをしている。

 

WATARU

渋谷児童館(美竹公園)奥のバンクでステールフィッシュをする長島亘。高さこそ腰ぐらいのバンクであったがバーチ切れと言っていいほどそそり立っていた。もちろんスケートボードのために作られていたわけではない。下部にスケート妨害用の金具が付けられている時代。

'80S  SKATEBORD

基本は35mmの一眼レフにフィッシュアイレンズ。フラッシュはオフカメラコードを使いカメラから離し、右手にカメラ、左手にストロボを持つ。サンパックのグリップタイプは脱着がボタンひとつで出来て良い(現在は生産されていない)。ISO感度100。 シャッタースピードは1/250 絞りf8~11 ストロボはマニュアル発光で光量調整1/4くらい、フル発光は閃光スピードが落ちて、動体ブレの原因になるので避ける。距離と定常光のバランスをみて明るさを変える。ストロボの距離で調整も出来るがフィッシュアイの画角に入り込むことが多いので、レンズより前に出してはいけない。また屋内や外光が暗い場合は2~3灯のスレーブストロボをサイド、バックから飛ばすのがベター。この際スローシンクロにしているときは、人物の後ろに蛍光灯など明るいものがあると透明人間のように素ヌケになってしまうので注意。

 

ノーファインダーで一番いいところにタイミングを見計らい、サっと出す。ストロボはライダーの向きに応じてレンズより高い位置の右側か左側から照らす。ノーファインダー、滑り手からするとカメラマンがずっとファインダーを覗いて寝転がっている近距離でトリックに挑むのはプレッシャーでもある。そう考えれば、瞬間カメラが出てくるほうが気が楽かもしれない。

 

スケーターとのコミュニケーションとそこに同化することが大切その時のファッションに身を包み自分も滑っている気持ちを持つ自然と滑り手が何をやるのかが見えてくる。

 

某日  樋貝

樋貝流スケーボード

'80 撮影テクニック

Moments are what is gold for skateboarding. Japan Air:  even now, Japanese skaters are taking flight around the world. When a skater does a trick, there is value not only in that moment, but also in the past, and it is beautiful. スケートボーディングはその瞬間瞬間がゴールドだ。今現在も日本人スケーター“ジャパンエア”は、世界中に羽ばたいている。スケーターはトリックをメイクしているその瞬間にも過去にも価値があり、美しい。

 

80年代 スケートボードジン 「JAPAN AIR」

写真右。ピンクのヘルメットでバックサイドエアを軽々とメイクする日本を代表するバーチカルスケーター 豊田 貢。写真左上、オーリーをメイクスするサトシこと川村諭史。それを見守る仲間たち。ミノちゃん、シンちゃん、ヨッピーand more。写真左の左下は360を決めるヒカリこと当時10代の鈴木光。左の右下はハヤサカチンこと早坂昌記。原宿にて。

ほかには新宿高層ビルの間に作られた特設ランプでジャパンエアを決める17才のトニー・ホークをはじめ、清瀬でのスティーブ・キャバレロ、横浜は氷川丸でのランス・マウンテン、マーク・ゴンザレス、クリスチャン・ホソイ、クリス・ミラー、ジェフ・ケンドール・・・

往年のプロスケーターたちが掲載。必見です!

 

80 GOOOOOOOO

1987年。日本を代表するトップバーチカルスケー ター豊田 貢。湘南100年フェスティバルというイ ベントの一環で、江の島海岸でバーチカルの大会が 開かれた。ジャッジ席にはサーフィンとスケートボー ドの橋渡しをしたベティーズの大野 薫や日本人初の プロスケーター、アキ 秋山の姿もある。

J

“ジャパンエア”トニー•ホーク。キヨセのデッキの無い鉄製のランページでのフリーセッション。近年、トニーはその半年前にスティーブ•キャバレロが上部の鉄筋に手をついてハンドプラントをした写真を見て驚愕したという。1985年。

パウエル・ペラルタ ボーンズ・ブリゲード ジャパンツアー。(Powell Peralta Bones Brigade Japan Tour)興奮が最高潮に達したスケートキッズたちに、ステッカー、Tシャツを投げ、ついに自分たちもその渦に飛び込んだランス•マウンテンとスティーブ•キャバレロ。

横浜 氷川丸。1987年。

P

クリスチャン•ホソイ。スケートボードブームに目を つけた建設会社がビリヤードとスケートボードを組 み合わせたパークを全国に展開した。 ロサンゼルス•クラブ三軒茶屋店。 1988年。

A

パウエル・ペラルタ ボーンズ・ブリゲード ジャパンツアー。(Powell Peralta Bones BrigadeJapan Tour)全身バネのようなアクションで“ジュードーエア”を繰り出すエイドリアン•ディメイン。横浜の氷川丸甲板にランプを設置してデモが行われた。1987年。

ヨッピーこと江川 芳文のジャンプランプでの一コマ。 代々木公園 歩行者天国(1971年から1998年まで の日曜、祝日は代々木公園を貫く放射23号線で車 を規制して道路が解放されていた。社会現象となっ た竹の子族、ローラー族、バンドなどに混じって、 スケーター達も70年代からコーンを並べてスラロー ムをしたりしていた。80年代中頃から手作りの発 射台“ジャンプランプ”が近場のプロショップから持 ち込まれ、多くのスケートキッズたちの即席ステー ジとなった。)1987年。

1985年。原宿セントラルアパート。現在東急プラザの建つ場所に存在した住居•商業施設。60、70年代、カメラマン、コピーライター、デザイナーといった業界人が多く住んでいた。一階の喫茶店“レオン”は、彼らのたまり場となっていたという。90年代後半にはジョーダンのバスケットコートもあった。

ビジョンチームと共に来日したクリス•ミラー。ス タイリッシュなノーズボーンをみせる。 スポーツ フェア代々木体育館前。1988年。

A

豊田 貢、篠 省光、宮内 健志の東京を代表するバー チ3人衆はキヨセに毎週通っていたが、静岡のサー フショップ、“ジャック”が本格的なサイズのバーチ カルランプを作ると、彼らも関西の竹井昭作らも ジャックに集まりセッションを繰り広げるようになっ た。レイバックエアで体を高く持ち上げる宮内 健志。 1988年。

伝説のスケート&BMXジン、“ムービンオン”のストリート特集記事。江戸川区(船堀)の公園でセッションをするムービンオンのエディター 石原 繁。スケーター  龍野 亨、西川 隆、大瀧 ひろし(ボンレス)、三野 達也。

1985年。

N

A

I

R

フォーム構造で最軽量ながら2万円もしたアンクル・ウイッグリーのトニー・マグナッソンモデルに乗るフランス人ハーフのフィリップ•メントネ。

トニー•ホークは西岡昌典が撮影したフィリップの写真を見て“ジャパンエア”を産みだしたという。AJSA(日本スケートボード協会)ハイエア•コンテストでの一コマ。

キヨセ 1985年。

本国アメリカでスケートボードとハードロックがク ロスオーバーしたムーブメント “スケートロック” は、日本にも伝わった。1987年。

 ジャンプランプが全盛だった頃。早坂 昌記。代々木公園、NHK通り。1987年。

1988年、“サンタクルーズ”チーム来日。クリスチャ ン•ホソイ、ロブ•ロスコップ、ナタス•コーパスそし て写真のジェフ•ケンダルが池袋の西武デパートで デモンストレーションをした。現在ジェフは本国ア メリカのサンタクルーズを作っている会社NHSの CMO(チーフ マーケティング オフィサー)となっ ている。

1988年は、アメリカのプロライダーの来日ラッシュ が続いた“ビジョン”チーム マーク•ゲーター•ロゴ スキー、ケン•パーク、クリス•ミラー(シュミット・ スティックス)。マーク•ゴンザレスのロサンゼル ス•クラブでのフリーセッション。のちに俳優とな るムラジュンが写っている。

70年代第一次スケートボードブームで日本初のプロスケーターとなったアキ・秋山。80年代はもとより現在も現役のスケーターである。蓮沼のスケートパークでニーヤンのボードエクステンションでアタックする。1988年

1989年の作者本人のスケートボード。 デッキ BRONZE AGE トラック Z Roller ウィール ホソイロケット

うえのPOPは、NIKE sb dojoで開催されたアーカイブ写真展で使用したキャプションです。全文字読んじゃった人、今すぐJAPAN AIRをGet!!

カートに入れて

お取扱い店 大募集!

スタジオフィッシュアイでは

80年代 スケートボードジン JAPAN AIRの

お取扱い店を

引き続き絶賛募集中!!

スケート&スノーボード専門店、Skateboardダイスキ!

というカフェやセレクトショップ、ジン専門店など。

少ない部数でもお気軽に

お問い合わせください。

スケートボード・スノーボード写真家 樋貝吉郎 公式プロダクト  WEB SITE

studio fishスタジオ フィッシュアイ    https://studiofishi.com

80年代ボードカルチャー スケートボード  スノーボードに関するお問いあわせはこちら

 (c)2009 Allrights reserved    Photographer Yoshiro higai & studio fish i