スティーブ・キャバレロ
ヨッピーこと江川芳文
Cover クリスチャン・ホソイ
写真集「JUDO AIR」は
1980年代の前半から十数年間、
アメリカのサブカルチャーである
スケートボードを通して、
その時代を日本人の僕らが体験した記録です。
世界的にスケートボードが競技からストリートへ
移り変わっていくなかで、
多くのトリックやムーブメントが生まれました。
それをもとにスケートボードが現在カルチャーや
アートと位置づけられるようになったのです。
毎日、ただ滑り、スケーターたちがトリックを
メイクする瞬間に無我夢中でレンズを向けていました。
無意識の使命感ともいえるものでした。
スケートボードに本気で夢中になれた19歳の自分たちと
いま何かを手探りでさがしているひとへ捧げます。
エキスポ86 / 1986年世界博覧会。単独カナダ バンクーバーにて撮影する樋貝、21才。ホソイ、キャバレロと出会う。
スケーターの日本人カメラマンを初めて見るらしく、みな気さくで親切。スケーターに国境がないことを肌で感じる。
LIVE tO SKATE いきるためにスケートする。 By ©Tatsuya mino
歩行者天国
外苑前でメイクするT19のBOSS大瀧ヒロシ。80年代単独渡米、DOGTOWNでシルクスクリーンの技術を学ぶ。帰国後、スケートボードは元より音楽・ファッションを融合したカルチャーを発信。今もなお多くのスケーターを魅了。
スケーター界のレジェンド アキ秋山
歩行者天国
Christian Hosoi,
Takeshi Negishi,
Hideki Morishita,
Takeshi Miyauchi,
Steve Caballero,
Rodney Mullen,
Tony Hawk,
Aki Akiyama,
Mitsugu Toyoda,
Phillip M.,
Seigo Fujii,
Kakkun,
Steve S.,
Tatsuya Mino,
Hisakatsu Nihei,
Hiroshi Ohtaki,
Kaoru Ohno,
Shigeru Ishihara,
Katsutoshi Akiyama,
ROSE Matsushima,
Andreas Camacho,
Toru Ryuno,
Tatsunori Morioka,
Yoshimitsu Shino,
Natas Kaupas,
Jesse Martinez,
Eric Dressen,
Chuck Katz,
Dave Hackett,
Don Hartley,
Chris Black,
Kevin Stabb,
Shosaku Takei,
Tsutomu Miyazaki,
Heekun,
Hiroaki Hirose,
Yoshifumi Egawa,
Masazumi Makabe,
Kazuaki Ishihara,
Tatsuya Okudaira,
Tomonori Rip Tanaka,
Inachan,
Dick Man,
Suzutaka,
Adrian Demain,
Kevin Harris,
Lance Mountain,
Tsuyoshi Kawasaki,
Sergie Ventura,
Mayo Nozaki,
Rental Matsui,
Aaron Murray,
Toshiyuki Noda,
Yoshihito Kawada,
Akira Ozawa,
Satoshi Kawamura,
Mark Gonzales,
Chris Miller,
Frankie Hill,
Hiroshi Fujiwara,
KimJun,
Shinichiro Nakamura,
Lester Kasai,
J.Grant Brittain,
Keith Stephenson,
Ben Schroder,
Jeff Kendall,
Masahiro Igarashi,
YujiNakazawa,
Takeshi Yoshiga,
Saluda,Furiten,
Maho Kawaguchi,
Yuichiro Yamada,
Masanori Nishioka,
Daisuke Tanaka,
Mike Mcgill,
Wood,
Natsuki Ohba,
Katuro Taguchi,
Toshiyasu Ishikawa,
Wataru Nagashima,
Akihiko Nishimura,
Takahiro Morita,
Tommy Guerrero,
JimThiebaud,
Jeff,
Salman Agah,
Satoshi Yazawa,
GeorgeNagai,
Junnosuke Yonesaka,
Shigeru Omura,
Shin Okada,
Junichi Arahata,
Alex Lee Chang,
and more
COVER Christian Hosoi
このひとは!
秋山 勝利。1978年全日本大会総合2位。1990年 日本初SKATERS COMPANY “Be’-In Works” を設立。wheel magに当時掲載していたカツ爺さんのコラムはマニアックで初心者も楽しめた。未だ熱狂的なファンも。復活を心から願う。
『世界びっくりちびっこ大集合』というテレビ番組のために初来日するトニーホーク。17才。“モンキーバックドロップ”、“ムーンサルト”、“サタデートップスペシャル”など制作側が考えた変なトリック名を番組中言わされる。PDのバカ! 1985年 西新宿にて
カーネルサンダースとスケートボード
都内の路地をクルージング。
ハイカットが時代を彷彿させる
ヘッドフォンから
速い曲が
流れると
漕ぐ足が
力強くなる
単純だ
駅までの道
同級生の佐藤がダビングしてくれた
Thrasherが作ったアルバム『SKATE ROCK』は
調子がいい。
キャバレロのバンド‘Faction’もはいっている。
いつものように竹下通りのスケートボードショップに顔を出すと、
「トニー・ホークが新宿に来ているよ。」と近藤さんが教えてくれた。
スラちゃんと(スラロームをやるからそう呼ばれていた)僕は
国鉄の山手線で原宿から新宿に向かい、
西新宿の超高層ビル街の
だだっ広い空き地の真ん中に設置中のランページを見つけた。
本物のトニー・ホークがいる。
僕より3歳年下だが、背は僕よりも高い。
『世界の天才ちびっ子』というテレビ番組の収録で来日したらしい
ちびっ子というにはやや無理があるトニー…
テレビ局のディレクターは悩んだんだろう。
17歳を3歳年をサバを読ませることになる。
出来上がった番組では口を歪ませながら「14歳。」
トリックの名前も次々と編集される。
ハンドプラントはモンキーバックドロップ、
フェイキーエアはムービング・リーフ、
540はムーン・ソルト(サルトではなく塩 moon salto not salt)など…
本人にその名前を言わせる徹底ぶり。
テレビの裏側を垣間みた気がした。
バックサイドワンフットエアは柔道エアとなった。
JUDO AIRの名前の由来らしい。悪くない…。
Yoshiro Higai
83年、高校3年の春、半分忘れかけていたスケートボードを思い出させてくれたのはクラスのちょっと地味目、だけど話してみると、かなり気が強いモリシタというクラスメイトのお陰だ。もちろん、自分も地味目な部類である。それでもってゼンソクもちであったせいかは分からないが、世間を斜めから見る性格になっていた。そんな僕が、ある瞬間に人生が決定されてしまったのだ。それは体育の授業でテニスコートで体育座りしながら、何かの順番待ちをしているときに隣に座っていたモリシタから、唐突にスケートボードの“今”をささやかれた。『平和島、原宿、オーリー、渋谷児童館…』ふだんは居眠りばかりしていた無口なモリシタは熱く語った。自分もまた過剰なくらいに反応した。翌日、夜の8時に渋谷児童館で待ち合わせをした。
渋谷児童館には小学生の頃よく行った。入り口にロボットが待ち受けている。何十本というコードが付いていてこちらに向かって、色々としゃべってくれる未来的な場所だった。(たぶん人が脇からしゃべってたんだろうけど…)目的は工作室。そこは電動糸鋸を自由に使うことが出来るのだ。中学くらいになるとさすがに“児童館”には近づけなくなる。その年頃になるとお祭りとかもにも近づけなくなる(店のおじさんが怖い人だと分かるから…)話は逸れたけど、たぶんそれくらい児童館からは遠ざかっていた。
久しぶりに訪れた薄暗い水銀灯に照らされた夜の児童公園。(正確には渋谷児童館の隣にある美竹公園である。現在、両方の土地に渋谷区役所の臨時庁舎が建っている。)そこは滑るための場所ースケートボード・パークだった。東急文化会館の屋上でチラっと眺めたことしかなかったスケートパークだけれども、自分にはそう思えた。この公園はスケートボードのために設計されたのだ。中央の砂場の周りを囲むように向かい合わせにフラットバンク状の滑り台。上部には、レールが付いている。2015年に存在していれば、かなり遊べる造形物であろう。まずは、根気よく公園の竹箒で砂場の大量の砂を端に寄せる作業だ。
すると下からコンクリートが顔を出し、湿ったコンクリートを丹念に掃き続けると、フラットが出現するのだ。バンクの片方は3メートルくらいで、片側はややゆるく、幅広で身長くらいの高さだ。面はキレイであるが、それなりに味もあるから新しいものではない。周りには腰くらいの高さのクオーターパイプもある。サーファーなら波乗りをイメージしそうな20メートルほどの長さのアール…砂場の下のコンクリートの平地でモリシタが見せてくれたフロントサイド・オーリーは、まるで魔法のようだった。何で浮かぶんだ?でも自分でも出来そう!?コンバースを擦る動作、シムスのテールがコンクリートに当たった湿った響き。夜の公園を覆っていた木が発するあの独特な初夏のニオイを嗅ぐと、今でもついこの間のことのように思い出す。ボーイズボーイズを観て、スケートボードを買ってもらったときよりも、強烈な何かが組み込まれたのだ。翌朝6時にまたここにこいよと、冗談のような誘いを真に受けてまた、朝行くと、モリシタと別のクラスのネギシも来ていた。連中はホントに来たのかよって顔をしながら、それ以上踏み込んでも来ない。昨日のオールナイトフジがどうだとかそんな会話をしているから徹夜だったのだろうか…夜中にテレビを観れるような家庭ではなかったから話には加われないけれど、興味があるのはスケートボードだからどうでもいいことだ。昨日の晩に真面目に砂を戻したので、また竹箒で砂をどかすところから始める。
小学6年の時にデパートで買ってもらった年期の入った国産のスケートボードを自転車の前かごに入れて渋谷まで走ってきた。途中で警察官がそれは君のものかい?と聞いてきたマジックで住所と名前を漢字で年賀状の差出人のようにでかでかと書いてある板をみれば誰だって高校3年生の持ち物だなんて思わないだろう。
JUDO AIR STORY1
TEXT ひがい よしろう
1980年代 ホコ天 代々木公園横 Skateboarding heaven day.
ARTIST YOSHIRO HIGAI
PAGE 180pages/4c
SIZE 297×225mm
PUBLISHER Bueno!Books
PRICE 3,800yen (+tax)
カバーを外すとカラー版クリスチャン・ホソイ
All film
158
撮影:1983年〜1998年頃
タイトル:JUDO AIR
ページ数:180ページ
全フィルム
掲載:158点
主なカメラ:オリンパスOM-1new, キャノンT90
主なレンズ:Kodak TRI-X, Ektachrome64,
Kodachrome64, Fujichrome100d
主なフィルム:ZUIKO 21mm 28mm 50mm
FD 15mm 17mm 20mm
翻訳:Ken Williams
原宿駅を背にして緩やかな坂道になっている竹下通りを見下ろすと無数の服と黒いアタマが折り重なるようにゆらゆらと動いている。モリシタに続いて意を決してそのアタマのひとつとなってみると、思ったほどの混み合いではない。さまざまな原色の縁のサングラスやブカブカの服がぶら下がっている露天から少し落ち着いたブティック、マクドナルドやスパゲッティ屋、やや高級そうな寿司屋が軒を連ねている。路地を埋め尽くす若者と中高年、外国人たちをマイケル・ジャクソンだかデビッド・ボウイといった流行の洋楽があちらこちらから包み込んでいる。キョロキョロと辺りを見渡しながら、200メートルほど進んだクレープの甘い香りがマックスに達した右手に僕らの目的地はあった。スケートボードとローラースケートが店先に並んでいる以外は普通の靴屋のようだ。モリシタにこの店の名前を聞いたときは居酒屋か?と聞き返した。高校生が居酒屋と思うかもしれないが付属校だということもあり時折クラスで開かれるコンパや何を上げるの分からない“打ち上げ”というものがその居酒屋で頻繁に開かれていた。部活もやらず、受験まっしぐらでもなく、といって遊ぶ訳でもない中途半端な17歳の高校生でも居酒屋に行くことは珍しくなかった。月桂樹をアタマにつけた古代ローマ人の横顔が店のグラフィックだ。モリシタはカウンターテーブルを挟んだ作業場でスケートボードにデッキテープを貼っている青年に声をかけた。ショップの看板ライダーの“ローズ”こと松島勝美である。マッシュルームカットで目鼻立ちがハッキリとしている。モリシタが言うところの日本で一番うまいスケーターだ。「そうなんだ。スケートボード買いたいんだね。このショップオリジナルがおススメだよ。」僕は店内に飾ってある夥しい数のスケートボード、ウイール、トラックに目移りしながらも初めて会うタイプの人だと感じていた。ローズはダラダラしている高校生の僕らを適当にあしらうとナンバースリーにジュースを買いに行くと言うと店先に転がっていた板に飛び乗り雑踏をスラロームのように縫って、そのコンビニへ消えていった。ローズにとってはモリシタはたまに来る客のひとりといった感じだったのが少し寂しかった。それでも不思議なスターに会った興奮で「ハーフなのかな?」と言うと「さあ、少しは入ってるのじゃないの」とモリシタは投げやりに返した。
アメリカから輸入されているスケートボードはデッキ(板)だけで15000円から20000円くらいした。ウィール(車輪)もトラック(金具)も何も無しでである。乗れる状態にすると50000円にはなる計算だ。輸入モノが高いのは仕方がない。1983年はドルが250円した時代だ。それが、数年後には125円になり、さらに数年後は80円台になった…。
僕のモチベーションを大ざっぱに分析するとモノを手に入れることにあるようだ。小学生の頃は模型、忍者の道具、スケートボード。中学生の時の一眼レフカメラなど…スケートボードもスポーツノートというハウトゥシリーズのカタログページの商品の値段と写真を幾度も量りにかけては心臓の鼓動を速くしていた。
現代人にとってモノとその値段との葛藤は限りがない。自分の身の丈にあった、いいものを見つけるのがモノを買う醍醐味である。初めて買ったカメラはオリンパスOM-1newだった。かなり悩んで新宿の西口にテーマソングを歌を歌いながら向かった。(心の中で)ニコンF2は高すぎて論外として、対抗馬としてのペンタックスMX、リコーの一眼サンキュッパではなくOM-1を選んだことは自分にとっては正しかったと思う…。
それから毎日のように通った今でこそ全国に百数十店舗を構える横乗り業界大手のメガチェーンだが当時は上野に2軒と、この原宿だけだった。
モノ選びにこだわりを持っていたはずの僕が翌週そこで購入したスケートボードはモリシタのおススメではなかったムラサキスポーツのローズモデルだった。
JUDO AIR STORY2
TEXT ひがい よしろう
続き
STORY 3
公式ウェブサイト
http://judoair.com/archives/217
STORY 4
公式ウェブサイト
http://judoair.com/archives/234
僕らがスケートボードを通して体験したこと。
すべてがはじまった時代。’80s。大集結
Reception レセプション
サイン中の豊田貢さんとレジェンドアキ秋山さん。おふたりのご紹介はこの枠におさまらないので別の場所で改めて!!!!
ムラサキの近藤さんとAJAS横山淳さん
'80sのみなさんと激熱な集合写真
ご来場ありがとう!!
写真集「JUDO AIR」専用サイト
こちらのウェブ サイトでは樋貝吉郎の超マニアックな
スケートボードストーリーを不定期で連載しています。
フォト&コラムぜひ覗いてみてね!!
http://JUDOAIR.COM
TITLE JUDO AIR
ARTIST YOSHIRO HIGAI
PAGE 180pages/4c
SIZE 297×225mm
PRICE 3,800yen (+tax)
サンプル画像を数点増やしました!!
新しいキャプションただ今準備中です。
(c)2009 Allrights reserved Photographer Yoshiro higai & studio fish i