空気を変え 風を呼び込む
ポスターには 力が秘められている
1986年夏。僕は人生初の海外旅行に出た。目指した先は北米西海岸。21歳のひとり旅。バンクーバーから湾を隔てた街ノースバンクーバーにあるシーレン スケートパーク、一面に描かれたスプレー文字が年季の入ったコンクリートに染み付いている。世界初のスケートボードの世界大会がバンクーバーのEXPOに合わせて開催された。スラッシャーマガジンから飛び出てきたようなトニー・ホーク、スティーブ・キャバレロをはじめとしたボーンズブリゲートからニール・ブレンダー、クリス・ミラー、レスター・カサイといったアメリカのトッププロの面々からブラジル、北欧からもスケーターが参加している。でもなぜか日本人の姿はなかった。僕はおそらく唯一の日本人として会場を徘徊していた。すると地元バンクーバーのローカル、ドン・ハートレーが声をかけてくれた。その日からドンは僕をコンテスト会場からローカルのホームパーティや強面のスカルスケーツ軍団の立体駐車場でのダウンヒルセッションまでガイドしてくれた。ラッキーとしかいえない。本当に助かった。スケーターのつながりがあればこそだ。EXPO会場ではバーチカル、フリースタイル、ハイジャンプ(!)とつづき、山間の郊外ではダウンヒルとバリエーションに富んでいる。そしてここではボウルライディング種目が行われるのだ。色とりどりのTシャツに身を包んだカナダのローカルがパークを埋め尽くした。アメリカのトッププロを拝めるのは滅多にないチャンスのようだ。同じ北米に暮らし同じ英語を話していても国境の壁はある。
コンテストではスネークボウルの一番深いところからジャンプランプのように外に飛び出すのが一番の見せ場となった。このボウルでは最もアグレッシブで写真向きだ。カメラ片手に姿勢を低くして人垣を縫ってどうにか最前線まで辿り着いた。カメラを持っている人は少なかったし、その一瞬を残さねばという使命感からだ。プロたちの中でひときわ高く空に舞いあがりスタイルを出しているのは遅れて登場したクリスチャン・ホソイだ。フライアウェイのヘルメットはマイク・マッギルから借りたものだろうか(?)。ホソイはボウルをカービングでつないでスピードをつけ空に浮かび上がった。渓流を遡りライズする鱒のような力強くて自然なメソッドエア。板のどこを掴んでどんな体勢をとるかは機能的に飛ぶための動作ではなくスタイルを見得を切っているのだ。それぞれの型がトリックで名前がある。スケーターごとに個性がありスタイルを競い合いさらに様々な型が生まれた。
Christian Hosoi 1988年
クリスチャン ホソイ
1967年ロサンゼルス出身
80年代のスケートアイコン。空中で体勢を作ることを定着させたのはホソイであろう。クライストエア、ロケットエアといったオリジナルマニューバーを生み出した。
90年代のバーチカルの衰退から薬物依存になり密輸の罪で投獄されたが立ち直り、若者たちに自らのドラマチックな人生を牧師として語り、スケートボーダーとしてもインスピレーションを与え続けている。
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